登山中の意思決定と反復思考

 「登山は成功体験の積み重ねだ」

という言葉を聞いたことがある.他のスポーツとは違い,天候や雪の状況などによって登山の難易度が大きく変わる.同じ実力でもタイミングやコンディション次第で成功したり失敗したりということはままある.運の要素が大きくかかわるスポーツだ.

 そんな中で一つの登山を成功させたとする.果たしてこれは自分の実力なのか?もちろん準備段階,タイミングやコンディションの見極めを含め実力という考え方もある.だが前述のように運の要素が大きくかかわるスポーツなので「ついていた」だけということもありうる.そんな中,「たまたま」成功した山行を自分の実力と評価するのは危険なのかもしれない.

 別の視点から,登山における失敗とは何かを考えてみる.ピークハントならピークを踏めなかったこと?登攀なら完投できなかったこと?もちろん広義ではこれらも失敗になるが,登山における一番の失敗とは「死ぬこと」だと思う.生きて帰ることさえできれば次のチャンスは来る可能性がある.そしてそのチャンスで登頂に成功するかもしれない.登山の一番の目的は登頂することでも,完投することでもなく生きて帰ってくることだ(あるいは生きて帰ってきて次の登山につなげること).そういう意味で考えると次々と新しい山行に行ける人は「生きて帰るという成功体験」を積み重ねているということだ.逆に言うと当然のことながら死んでしまっては次の山行に行くことはできないのだ.

 こういったことを踏まえながら登山中の意思決定をどのようにすればいいかを考える.自分の実力を過小に評価し,生きて帰ることを目的とするのであればより安全な方に意思決定するべきである.ただ難しいのは登山の楽しみの一つに「自分への挑戦」といった許容できる範囲内でのリスクをとり,それを乗り越えることを楽しむ要素が少なからずある.この安全マージンとリスクの許容の分け目がいつも難しい.

 この意思決定をするにあたって,「意思決定をするに至った過程」が大切だ.多くの意思決定は「やる」か「やらない」の2択になる.この2択というのが難しくさせる.適当に選んでも極論をいえば50%で成功する.さらに言えば命がかかわるような選択を迫られる意思決定をする場面は少なく,どちらも正解となりえてしまう.つまり意思決定をする際に,対して深く考えなくても成功につながる場面が多いのだ.こうした選択を繰り返していると,本当に重大な判断が必要となったときに適切に意思決定できない.普段から意思決定に至る過程を大事にしておく必要がある.

 何かを判断するときに必要なのは情報だ.2つの選択肢があったときに,どちらを支持する情報,根拠ーエビデンスといってもよいかーが多いのか,あるいは強いのかを考える必要がある.この情報にはとても分かりやすいものもあれば,非常にわかりにくく処理するのに苦労するものもある.つまり,何かの意思決定をするときには,まず情報を集め,この情報について評価をし,そのうえで判断をする必要がある.さらにこの情報を集める能力,この情報を評価する能力については一朝一夕で身につかないものもあるため日ごろの山行,あるいは日常生活から鍛えておかなければならない.

 一般的に情報収集,情報処理の過程は多くの場合,無意識で行っている.この過程を意識化に置くことができれば,意思決定の精度は上がるものと思われる.おそらく一流の山岳家はこのプロセスを重要としている.これらの過程を意識化に置くことの一番のメリットはどのような情報が重要なのか,それらの情報はどこから手に入るのか,またどのように判断したらよいのかなど分解して考えることで体系的に学習することができる点にあるのかもしれない.一つの事例,さらにはその事例の要因を分解して,それぞれについて山行前に反復して思考することで何が正解なのか,あるいは何が不正解なのか自分の中で答えを出しておくとスムーズに判断できる.もちろん自分一人で答えを出す必要はなく,各種メディアからの情報収集や,他の山に関わる人からの意見聴取なども踏まえて自分なりの答えを用意してきたい.

 何かを判断するのに無意識で判断してはいけない.その判断の過程を表層に呼び出して,分解して論理的に考えて決断することが重要である.

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