何のために登るのか.厳冬期北岳バットレス

厳冬期の北岳バットレスに挑戦した.結果としては無事に登りきることができた.登っているときにずっと考えていることがあった.

「何のために登るのか」

多分自分の中で大きい割合を占めているのは,恥ずかしながら”承認欲求”だと思う.もちろん楽しいというのもある.それでも人からすごいと思われたいという気持ちがかなりある.山に向かう動機としてこれがあんまりよくないことだなーと思い,なるべく考えないように無心で歩くことにつとめた.こういういわゆる邪念があって集中力が維持できないと事故につながる.一歩一歩集中することにつとめた.

でも人からすごいと思われたいっていう気持ちは邪念なのか?ともふと思った.言い方を変えれば人が行ったことないようなところに行きたい,つまり好奇心とか冒険心とかともいえるのかもしれない.いや,少し無理があるか.

とにかく今のところは「この気持ちは承認欲求だなー」と客観的に捉えられているので制御できているが,これがun-controlableになったら大変だ.

少し視点を変えてみる.もし誰にも見られなくなって,誰にも結果を伝えられなくなって,誰にも結果をすごいと言われなくなったらクライミングをやめるのか?たぶん,いや絶対そんなことはない.そこには承認欲求以外の「何のために登るのか」もあるはずだ.むしろそっちの方がメインなのではないか.

それはたぶん”達成感”なんだろうなーと思った.フリークライミングもそうだが,取り組んでいる過程よりもむしろ登れた時の爽快感とか高揚が気持ちいい.敗退したけど,登れなかったけど楽しかった!ということはそこまで多くない.むしろ敗退とか登れないこととかのいかにも正当そうな言い訳を探して自己防衛をはかる.そんな必要ないのに.

そんな考えが湧き上がってくる中,なるべく考えないようにしながら登っていた.

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